西島和紙


歴史・・・戦国時代〜明治時代



これは、和紙の原料の三椏です。
西島の望月せいべいが伊豆野村に行き、
その地方で、すでに、しゅぜんに行われていた。
「修善寺紙」の技術を学んで帰り、西島の人に伝えたという。武田信玄に紙をけんじょうした所、信玄は大変喜んで「西末改印」をあたえた。

和紙を漉くのは難しかったです。

このころ交通の中心は舟でした。富士川を下る舟があり、西島の和紙もその舟に乗せられて駿河から江戸まで運ばれていった。すられていたのは三椏を原料とした、半紙だった。

これから、水分をとって、乾燥させます。



明治時代になると、紙の保護がなくなりだれでも紙がすけるようになったので競争がきびしくなった。西島でも品評会に出したり、いろんな紙すきの技術を見学したり努力された。


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